パリ在住の画家、サロン・ドートンヌ委員 村山密氏 pari
正真正銘のパリ在住の画家と言えば、潮来出身の村山密氏が居られる。
銀座8丁目高輪画廊の同じ並びだが、より4丁目寄りに銀泉画廊と言う老舗画廊があって(現在は閉店)、オーナーの兄上が村山密画伯である。サロン・ドートンヌの委員に選ばれ、日本人として初めてオマージュ村山(特別展示)として、サロン・ドートンヌで開催の栄誉を担った方である。
日本ではさして有名とは言えない?が大統領賞もパリ市のベルメイユ賞も授かり、天皇皇后のパリ滞在中にはお相手をなさったり、多彩な国際芸術家として確固たる地歩を築いた画家であり、又こんな奇遇の持ち主も居まいと言う程の日本人でもある。
無論それなりの苦闘、苦渋はあったが、やがてロレーヌと言う画廊の経営者と相思相愛となって、その住宅がパリ5区、サン・ルイ島の側にあって、左手にはノートルダム寺院が手に取れるよう眺められ、それが面白いエビソードを引き出してくれる。
皆さんはフランス映画の『パリの屋根の下、セーヌは流れる』の映画をご存知だと思うが、その映画の始まり、フランソワーズ・アルヌール扮する小娘が田舎からパリに出て、リヨン駅からタクシーに乗る所から映画が始まり、運転手が「何処へ行きますか?」ときくと、「13番地、ケ・ド・ラ・トウネルへ」と答える。それがつまり密の住んでいる家だと言うから、面白い。
所で未だ私的な尾ひれが付く。村山密という名にお気付きだろうと思うが、前島密にあやかって名付けられた名らしい。明治の密氏は『ひそか』だが、彼は『しずか』と読む。彼の祖父が前島家の出身で、書道の名家だったと聞くに及んで、私達夫婦は、「ム?ム?」と言わざるを得ない。若しかして遠くは親戚だったかも知れぬと言う奇縁?である。
しかも昭和の文芸時代を一世風靡した中村光夫は密(しずか)の『はとこ』だと言うから、若しかしたら、若しかしたらの世界となる?思わぬ発見である。
銀座8丁目高輪画廊の同じ並びだが、より4丁目寄りに銀泉画廊と言う老舗画廊があって(現在は閉店)、オーナーの兄上が村山密画伯である。サロン・ドートンヌの委員に選ばれ、日本人として初めてオマージュ村山(特別展示)として、サロン・ドートンヌで開催の栄誉を担った方である。
日本ではさして有名とは言えない?が大統領賞もパリ市のベルメイユ賞も授かり、天皇皇后のパリ滞在中にはお相手をなさったり、多彩な国際芸術家として確固たる地歩を築いた画家であり、又こんな奇遇の持ち主も居まいと言う程の日本人でもある。
無論それなりの苦闘、苦渋はあったが、やがてロレーヌと言う画廊の経営者と相思相愛となって、その住宅がパリ5区、サン・ルイ島の側にあって、左手にはノートルダム寺院が手に取れるよう眺められ、それが面白いエビソードを引き出してくれる。
皆さんはフランス映画の『パリの屋根の下、セーヌは流れる』の映画をご存知だと思うが、その映画の始まり、フランソワーズ・アルヌール扮する小娘が田舎からパリに出て、リヨン駅からタクシーに乗る所から映画が始まり、運転手が「何処へ行きますか?」ときくと、「13番地、ケ・ド・ラ・トウネルへ」と答える。それがつまり密の住んでいる家だと言うから、面白い。
所で未だ私的な尾ひれが付く。村山密という名にお気付きだろうと思うが、前島密にあやかって名付けられた名らしい。明治の密氏は『ひそか』だが、彼は『しずか』と読む。彼の祖父が前島家の出身で、書道の名家だったと聞くに及んで、私達夫婦は、「ム?ム?」と言わざるを得ない。若しかして遠くは親戚だったかも知れぬと言う奇縁?である。
しかも昭和の文芸時代を一世風靡した中村光夫は密(しずか)の『はとこ』だと言うから、若しかしたら、若しかしたらの世界となる?思わぬ発見である。
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